日々の中での出来事・思いを重ねていきたいなぁ。仕事のことも生活環境の事も友人のことも仲間のことも連ねていきたいなぁ。


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<   2007年 03月 ( 8 )   > この月の画像一覧

 久しぶりにT子と二人で映画を見た。「派遣の品格」を楽しみにしてみたいたせいもあり、篠原涼子が主演を張っていると言うので観たのだけど・・・・・。あれは、テレビを観てないと人間関係がわからなく、またそれぞれのキャラクターがよう解らんし。で、主人公の人となりがあまりに粗雑で、これもテレビを観ていないので解りにくい。
時間はつぶせたが、テレビから観ていないと解らないお話は観るものではないと解ったからよかった。
 
 恒例の春のお楽しみ「クレヨンしんちゃん」は初回から観ているから人間関係も新キャラクターもだいたい把握できるし、ドタバタしてるけどドロドロしてない。厳格なお母様達からは「きっ!!」っと睨まれそうだけどテレビで連載されたときから子供達といっしょに観ているから余計に好きなのだろう。

 「エバンゲリオン」の劇場版もさっぱりわけ解らなんだ。あれはテレビあっての映画だったな〜〜〜。ビデオでしっかり最終回まで見終わり、映画を観て「なるほど」と思った事を今、思い出した。

 それにしても主人公のユキヒラ警部は何故、常にハイヒールなのか?カンカン音のする靴を履いて潜入することがカッコいい事なのだろうか?靴の音が「カンコンカンコン」なっていたのが不思議でしかたなかった。まあ、映画だから・・・。
 ユキヒラ警部は何故、長いコートを(引きずるぐらい)来て、ポケットに手を入れてウロウロするのだろうか?警察という設定なら、尚更手を出して歩く方がいいと思うのだけど?
 白のブラウスの下に黒の下着を付けているのはカッコいいのだろうか?祖父母や戦争を知っている親に育てられたものに取っては「そんなカッコはパンパンがする事です」と一喝されるところだろう。(パンパンは死語で差別言葉であるので、以後気をつけます)
 テレビ連載を観ていない私にはいろんな不思議が沢山あった。でも、きっと人気があるのだろう。

 私は素直でなく、いい年をしているわりに大情際が悪いので、いっぱい突っ込みたくなる。大好きな「ガンジー」の映画にさえ突っ込み所はあるわけで、素直に娯楽を楽しめない「へそまがり」なのかも知れない。
 もし、「アンフェアー」が大人気であのユキヒラ警部に憧れているお嬢さんが多いなら、ある意味たくましく、タフな人が多くなるのだろう。でも、あのファッションは篠原涼子でもあんまり似合ってないのだから簡単に手を出さない方がいい様にも思う。

 「派遣の品格」では大泉洋が気に入ってたんだな〜〜〜。と気の付いた私であった。最近、ちょっとボケ過ぎかも・・・・・・。
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by papillon-e | 2007-03-26 16:53

病院

 首の肩甲骨のあたりにしこりを発見。気にしながらもリンパが腫れているのだろうと思い、そのままにして早10日。少し重くなってきた様にも思うし、お腹も時々ものすご〜〜く痛くなるので病院に行ってみる決心をした。まあ、しこりが気持ちいい訳でもないし「母さん、早く病院に行く様に!!」と娘達の厳しい要望もあって、本当に決心してみた。
 ところが、どこのお医者にいけばよいか解らない。
 
 以前、お腹痛は近くの胃腸科で見てもらったけど、「別に何ともないよ〜〜」「そんなに痛いの??」「痛み止めだしておくからね」と診断されているので、下っ腹の痛さは「気のせい」と思っていたのだけど、やっぱり痛いし、脂汗が出るときもあるし気にならない訳ではない。何かをしている時とか、日にもよるのだけど、痛みの波が来るのでこれもまた私の気分のもんかな?とも思ってみる。
 でも、行くなら両方見てもらった方がいいし、ものには「ついで」があるからね。
 
 そこで、最近お世話になってる病院に行き、相談する。紹介状を書いてもらい、それを持ってすぐに総合病院へ。「京大病院はいやだ」と言うと「はじめっから大学病院に行く必要はないですよ。でもね、いろんな科のある所の方が良いと思いますよ。もし、何かあれば耳鼻咽喉科だと思うしね。とりあえず、内科で見てもらいましょうね。腹痛はもしかしたら、婦人科かもしれないしね」とアドバイスをもらえた。なるほどね。

 で、すぐに総合病院に足を運び、内科の待ち合いで待っていた。ずいぶん大勢の人が来ているもんだな〜〜と感心する。以前、母が骨折し入院していた病院なので全く知らない訳でもないし、子供も学校からここに連れてきてもらう事もある、どちらかと言うとファミリアな病院だ。けど、自分がかかるとなると話は変わってくる。

 少しは早口で話をされる男の先生だった。「調べないと解らないな〜〜。頭から順番に調べて行きましょうか」と面白い事をおっしゃる。「ウイルスが入ったのか、他のことなのか、最悪癌かもしれないしね」とニッコリ微笑みながら言われたら、「お〜〜〜それもそうだ」と思うしか無いだろう。実際「面白い事いうやん」と思いながら聞いてたのだけど、ちょっとユーモアがあった。また、胸部のレントゲンを見ながらの説明も「きれいですね。癌はありませんよ」だって!!「お〜〜よかった。」と言うと、「そうですね」。またレントゲンのもやもやした所を見て「ちょっとメタボリックな身体ですよね」と言うと「うん!そうだね」ときたよ。面白い先生だわ。

 しばらく通う事になりそうだけど、CTをかけてもらい、噂の「大腸検査」をする事になりました。ぶんさんやひなたさんが経験されているとの事で、おっかなびっくりだけど、いや〜〜とうとう私も体験者になるんですね。なんか嬉しいような、怖いような・・・。
 「大腸検査は痛いよ」「時々、腸に穴があいてしまう事もあるけど、メッタにないしね」と言われたので「穴があいたら縫えばいいですもんね」と気楽に言うと「まあね・・・。緊急の大手術になるけど・・・」とぽつり。なんかトボケた感じの先生で案外好きかも・・・。
 いつも行ってる産婦人科の先生もトボケた先生で「ムーミンパパ」と呼んでいる。メガネの所が白く、ゴルフのやり過ぎで顔が二色になってるのを見つけると「先生、ゴルフ行ってきはったんですか?」と聞くと「えっ・・・。まあな」と嬉しそうに恥ずかしさうに返してこられる。ここでは3人ともお世話になったので少々の事を言ってからかっても気にもされない。いつも「太ってきたんとちがうか?気をつけなさい」と言われるぐらい。
 
 さあ、今まで身体の事を検査もする事がなかったのでいい機会だ。いろんな所を時間をかけて調べてみよう。でも、メタボな身体を何とかしないとね。
 
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by papillon-e | 2007-03-24 16:39

卒業式

 今日は小学校の卒業式だった。一学年69人、皆元気な顔だった。
その中で私学に行く学友は18人らしい。少し、淋しくなるお友達もいるけど、でも、また新しい出会いが待っている。
 
 私の小学校の卒業式でもあった。13年間とはいえ、けっこう長かった。人間関係の難しい時期でもあったから(みんな自分の子供が一番かわいいし、自分が一番だと思い違いをしてしまう時期でもあるからね)いい勉強になった。先生に対しても相性もあるし、思い込みもある。お互い人間だからどうしょうも無い事もあった。いい思い出だ。

 今日は長男M郎がお父さんの代わりにきてくれて(T子の高校もそうだったけど)自分の小学1年の時の担任に挨拶していた。先生達に(昔からの先生)に声をかけてもらい、また、自分から挨拶しに行く様を見て「大きくなったな〜〜」とつくずく思えた。
また、私が小学校6年の時の担任の先生にもお目にかかり(3年前まで校長先生だった。来年、定年されるそうだ)挨拶出来て嬉しかった。田舎の風景である。

 さあ、中学に向けて用意をしましょう。T子は来るべき未来に向けて準備しましょう。
 私、お疲れさん。よく、がんばった!!!スカタンのお母さんだったけど、取りあえずここまでこぎ着けた。先生達もいろいろありがとうございました。言いたい事も、文句もいっぱいあるけど、大人だからいいません。(ふん)みんな、笑い話で笑い飛ばしましょう。
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by papillon-e | 2007-03-22 19:20

雑誌

 いろんな年齢を対象にいろんな雑誌が出てるけど、久しぶりに「いいな〜〜」と思う一冊に出会えた。一時ものすごい影響力で女性雑誌に君臨(?)していたマガジンハウス、クロワッサンのシリーズになるのだろうか、クロワッサン・プレミアムだ。
 私達はan an、non non、oliveなんか見ていた世代なんだろうと思う。私自身は若い頃、テーンエイジャーの頃にこういうファッション紙に興味がほとんどなく、いや、実はあったのだけど、アメリカ雑誌を必死にお金を貯めて丸善に買いに行っていた。セブンティーンやグラマーなんか見ていた。読めないから、見ていた。
 まあ、それはともあれ、この雑誌、ー50代以上「上品元気」なおしゃれのテクニックーというキャッチフレーズ。しかも、表紙が前田美波里と木原光知小。これを買わずにおれるでしょうか。(私だけかも知れない)

 何を隠そう、私は小学校の頃から前田美波里のファンだ。彼女がモデルをしていた頃しか知らないが、資生堂のポスターから始まりその大作りではあるけど、笑い方に魅了されちゃったわけである。で、彼女のモデルでの仕事っぷりがすばらしいかった。他のモデルとは全然違う、演出力と表現力があった。

 恵まれた事にファッションショーに行く機会もあったので、その時に彼女のステージを何回か見た事がある。今でもあの服の見せ方が出来る人は少ないと思う。やもすると、やり過ぎ感はあるかもしれないが、それでも服に対する解釈とそれを見せる表現力はイネス(パリのスーパーモデルの先駆者かな?実物は見た事が無い)とかと比べ物にはならなかったと思う。今でのファッションショーを見て、彼女のように楽しく美しく、品良く服を表現する人は見た事がない。もっとも、小学生だった私の脳裏にしっかりこびりついているので、誰が異論をとなえても絶対にそうで、これはゆずれない。
 木の実ハコさんというモデルもカッコ良かったし、山口小夜子さんも存在感もあったけど、ちがうんだな〜〜〜。(このかたもクロワッサンのモデルだったかな)

 この雑誌、とっても生き生きとしてしっかり人生を歩んでられた方を載せている。もちろん、皆さんべっぴんで非の打ち所の無いスタイルで顔も小さく、教養もあって育ちも良い方ばかりで、少し『ふん』と思う気がないでもないけど、綺麗に服を着てられる。大人の茶目っ気さも持ってられるからもあるのか、肩肘は張った緊張した雰囲気もない。もちろん、文章は若い人が書いているのだろう、「決めつけ過ぎで思い込み強過ぎ」と思うけど、雑誌なんてそんなもんだから。

 今月は創刊されたファッション雑誌が二冊あったが、このクロワッサンプレミアムが私には一番のヒットだった。

 本当はね、おしゃれって年を取るごとに似合ってくるもんだと思うのです。若い頃は基本をしっかり着こなさないと崩してもだらしなく、品良くは着こなせないと思うのです。それを思い出さしてくれた雑誌でした。もうすぐ50代に突入する私には「あ〜〜こんなに風になりたいな〜〜」と久しぶりに思わしてくれた雑誌でした。
 綺麗だけでも物足りない、沢山写真が紹介されてるだけでもつまらない、雑誌作りって大変だろう。それに、文句の多いこんなおばさんもいるしね。で、文句いいついでに、最近のファッション雑誌の記事を書いている人たちって服の事知ってるのだろうか?ブランドの事でなく、もっと根っこの所。

 そこで提案。「綺麗に歩けば、あなたはモデル」とでも表題して歩き方の特集を組んでみては?特に若い人の雑誌。綺麗に化粧して、がんばっておしゃれしていても歩き方が悪かったらどんなに高価でいい服着ていても美しくない。もちろん所作や、言葉も大事だけど、それよりも歩き方。本当は親が教えるもんだろうと思うのだけど、今は違っているみたい。とっても簡単よ。「背筋延ばして、お尻に力入れて膝を曲げないでまっすぐ歩く」ね。どうだ〜〜〜!!!
 
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by papillon-e | 2007-03-17 19:16

御先祖さま

 昨年の暮れから母が祖父の家のことで色々話をしてくれることがあった。今も継続して母自身考える事の多い事件(?)のようだけど、世の中、特に親類縁者に関してはどうしょうもない事がある。

 兵庫県は氷上郡井中(いなかと読むらしい)にある祖父の生まれ育った家が廃屋の様になり、集落の人たちが困っていると言う。祖父兄弟の末の叔父が母に電話で悔やんできた。「400年続いた家がこんな形で終わるなんて・・・・。しかも、家財道具全て**が持ち出したが御先祖様の位牌だけ置いて行ったんだ。++さん、何とかできないだろうか」との話らしい。
 もともと祖父が長男だったから家を継がないといけない身であったから、叔父も母に話す事が一番だろうと思ったのだろう。しかも、叔父は養子に出ながらも祖父の家を長年守り、自分の両親を見送った人だ。責任感と情があり「情けない」し「何とかしたい」と思う気持ちもよく理解出来る。
 でも、その家を相続したのは祖父でなく、祖父の兄弟で戦時中に祖母達に辛く当たった叔母や叔父である。で、その叔父の子供(すっかり年寄りだけど)が引き起こした結果であって、私達家族には手も足も出せないだろうと思うのだけど・・・・。

 でも、叔父は嘆く。
この叔父、昨年胃がんの手術を受けた気丈な92歳である。祖父が生きていれば100歳は越えているのだろうな〜〜等と思い出しながら、先日叔父と電話で話をした。
 戦前の人はしっかりしているのは充分承知しているのだけど、叔父の年を感じさせない話し振りと、電話でのやり取りと、私の話に耳を傾けてくれる態度に物凄く驚いた。
 
 叔父は一番祖父に似ていて、また私にも優しかった。他の兄弟はえらそうで近寄りがたい感じだった。小学校の校長先生をしていた事もあったのだろう、小学4年の時に一人で京都から祖父の家に遊びに行った時、この地方に伝わる話や、御先祖さんが眠る山(お墓が並び、死ぬほど怖かった)に連れて行ってもらったり、戦時中に母達が疎開した時の様子や使った琴等の言われを丁寧に教えてくれた。もちろん、当時叔父が勤めていた小学校にも連れて行ってもらった。叔父も戦争にいったのだったかな〜〜〜。覚えてないけど、祖父の家の話も色々聞かせてもらった。

 そう言う意味でも、叔父にしてみれば「家の名誉を回復したい」と願う気持ちは良くわかる。

 母が出来る事はそのままにしてある位牌をお寺で供養してもらうぐらい。しかも、相続権のある母の従兄弟と話をしないといけない。77歳の母は「今月末におじさんに会いにいって、どうなっているのか見てくる」と話をしている。「昔、京大に入ったって挨拶しにきた時に一回会っただけだから、どんな人なんだろうね」と母は少し心配しているが「出来る事だけ出来る様にしたらいいから」と自分を励ましたりしている。お墓の話も出るかもしれないし、こまごまと面倒な話にならない保証はないだろう。
 「御先祖さんのことだからほっておけないしね」と言う気持ちも痛いほどわかる。叔父の気持ちも理解出来る。母の従兄弟の考え方も推測できる。年を取ると、年をとったで面倒事はあり、また心残りもあるんだね。解決したいと思う気持ちに若いもんは何とかしたいとも思う。それも、孝行だろう。

 こういう結果を招いた原因は色々あるだろうが、祖父が家を継がなかったと言うのも一つの要因だろう。叔父の話を聞いて「なんとかしないと」と思う母の気持ちは私にも充分共感できる。うまくいくといいな〜〜と思う。
 それにしても、位牌だけ残して後はすっからかん。もしかしてこうなったのは曾爺さんと曾婆さんの育て方に問題が会ったのかも知れん。とも思う。身内の振り見て我が振り直せ!御先祖様には申し訳ないが成功例も心強いもんだが、失敗例は良い教訓となり、子々孫々と受け継がれるように思う。名前もしっかり残るしね。
 また、こういう斜に構えた偏屈な女の子孫もいるしね。(名前はもう違っているけど)そう言う意味では、御先祖様。しっかり学べてますよ。ありがとうございます。感謝します。合掌。

 400年間、家はいろんな人を送り出し、人間模様を見てきたのね。子供達にぼろぼろで廃屋になっているとは言え一度見てもらいたい。話が進んでくる経過で私も母と一緒に行ってみようかと思ってる。一つの歴史が終わるのかな?
 
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by papillon-e | 2007-03-15 18:33

浦上天主堂

 長崎に入ったのは土曜の午後。ランタンフェスティバルに重なっていた事もありホテルがなく、ようやく見つけたオランダ坂に近いホテルに取りあえず荷物を置いて、次の日に試験を受ける場所の下見に行った。
 長崎の交通機関はわかりやすいような、わかりにくいような・・・。ただ、電車が100円と安いので乗っていても大変気が楽だった。観光客に混じり(自分たちも観光客なのですが・・・・)路面電車に乗って目的地に向かう。築町から乗ってトコトコ20分ほどかな?風情がある。
 昔、京都でも一部路面電車になっていた所があっつあのだけど、車が電車の前に入ったりして電車がスムーズに走れない事があったけど、長崎の路面電車と車との秩序は見事なもんだった。このマナーの良さ、また規制のありようは感心した。京都にもこの秩序とマナーがあれば市電も生きていたのかもしれないな。でも、無理だろうな。

 学校を確認し、試験会場を確認し、ぶらぶらと二日目の試験のある方へ歩いて向かってみる事にありた。この辺は一面被爆にあった所だろう。今は綺麗な町並みになっていたが、何やしら胸が熱くなるような思いが走る。サントス通りを歩き、永井博士の庵を通り、浦上天主堂に向かう。時間の間が悪く、着いた時には閉館されていた。硝子の扉越しに中を少し覗くが、綺麗なステンドガラスが少し見えただけで、残念。
 二日目の試験会場となる場所にも原爆で亡くなられた方達への墓石があり、二人で手を合わす。いろんな見解があるだろうが、原爆とは「大量策略兵器」であることは間違いなく、何を隠そうそれを開発して実際に使い、人を実験材料にした国がある事は事実で、また、その原爆を作って保持している国があり、保持したい国があり、またそれを力と思い、脅威としてチラつかせ恐怖をばらまいている国家が多数ある。人間とはかくも愚かで、欲に魂を売れるものであるのだろう。また、恥を知る知識人達はどこに行ったのだろうか・・・・等とかしこぶりっこをしたりなんかして・・・・。

 坂の多い町だとは聞いていたが本当に坂が多い。長崎の人は足腰が強く、みな元気に違いない。もちろん、足が綺麗でヒップアップした人が多いに違いない。足が痛かった。二人でキョロキョロしながら、見るものに驚き、足を引きずりながら探索していた。長崎大学病院はすごい所にある。車で行くのが一般的なのだろうが、あそこまで歩いて行ける人は健康も回復するだろうし、リハビリにもなるのではないだろうか?と思うぐらいの坂だった。また、山にへばりついてる感じで圧倒館があった。ただ、入院中の眺めはいいだろう。ゆっくり治療も出来るかもしれない。

 いろいろ話が飛んでしまいそうになるので、ここでは浦上天主堂の話。

 二日目の試験は午前中に終わる予定だったので、会場まで向かえに行った。スーツ姿の学生の中制服姿もチラホラ見るものの、娘の姿が中々見つからない。午後の部の人たちが集まってくる中、同窓生だろうか、なつかしそうに声を掛け合う姿や、おしゃべりに花を咲かせている人たちがいた。いい天気で何より。
 少し不安になりながら待っていたらT子の姿が見えた。試験内容を話しながら、校門前の坂を降りるとボランティアの方達だろうか「お疲れ様〜」とキットカットを配っていた。「どうだった?」と声をかけられ、「あははは」と乾いた笑いで答え、キットカットを一つもらう。「二つ、いかが?」と言われたのだけど、そこは遠慮して「いえ、一つでいいです。わけますから」と朗らかに言うT子。
「お疲れ。」「ほんまお疲れやわ」と言いながらキットカットを割って私に渡そうとして自分が口に入れていた分、3分の2ほどその場で落としてしまった。
「あ〜〜〜〜落ちた」と私が大きい声で言ったもんだから、ばし〜〜〜っと背中を叩かれ「縁起の悪い事を言うな」。確かに、受験生が周りにいっぱいいる。でも、私は気にしない。
 「ちぇ、キットカットまで私をバカにしやがって・・・」とぷりぷり腹を立てつつ「浦上天主堂にいってみよう。心も落ち着くかもよ」といいながら、向かってみると、あらら、月曜日は休館日。
「神様にも見捨てられた」「なんか、神も仏もないやん」とふてくされる。「神様は私の事がいややから中も見せてくれへんねんわ、きっと」とぷりぷり。付いてないと言うか、また今度と言うか・・・・。「まあまあ。」と声をかけるしか無い気弱な私がいた。
 被爆された聖者像に手を合わせ、この地に来れた事を感謝しつつ後にした。

で、浦上天主堂とは縁がなかったようです。本当はもっと爆笑問題発言があったのですが、娘の名誉と私の見栄のために内緒にしておきますね。

 ただ、こうして娘のおかげで長崎に来れた事を感謝しつつ、原爆と言う爪痕が今もなおある事。また、意識しないと忘れてしまう事に考えさせられてしまいました。スターリンだったかな(?間違っていたらごめんなさい)「人は一人だと尊いが大勢だと数になる。」と言った言葉を思い出した。戦争には個はなく、常に数の力が勝ち負けになるのでしょう。恐怖をチラつかし、人をひれ伏す方法は太古の昔からあるけど、いかに、恐怖と戦えるか、恐怖を脅威ととらえないかは人の英知の問題なのだろうか?
 解ってないのに、解ったような事を言う癖は見栄っ張りの証拠です。間違って覚えていながら,さも、真実であるかの様に言う私は偽善者であります。

 だから、浦上天主堂にいれてもらえなかったのかな???ご挨拶したかった。
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by papillon-e | 2007-03-12 18:40

人生いろいろ

 午前中、大阪での仕事。昼は2時までに帰ってこなくてはいけなかった。京阪は出町柳駅まで乗り、その後バスに乗るのだけど、出町柳と百万遍の間に美味しいパン屋さんがあるので、昼ご飯をそこで買って帰ろうと思い、トコトコ歩いていた。

 やたらと青年が目立つ。この時間だし京大生がお昼ご飯を求めてフラフラているのかと思っていたのだが、おっと、今日は10日。京大と東大の発表ではないか。行き交う青年達は皆、おおよそ笑顔だった。団体行動で移動している所を見るとそれぞれ、思いの学科に受かったのだろうか。
 少し伏し目がちに先を進む青年もいたのだけど、残念だったかな?大丈夫だよ。これ一回で命取られる訳ではないからね。

 娘、T子も再チャレンジを余儀なくされ、今日は学友と京大の合格発表を見に行くと言っていた。一人の友人はT大を受けたのだが、「皆で予備校見てくる」と元気にメールがあったから、仲良しは残念な結果になった人が多かったようだ。みんな同じ予備校に行くのはいい事なのか?問題があるのか?それは解らないけど、「もし、T子があかんかったら一緒の予備校に誘おう」と仲良し達が言ってたそうな・・・・。なんか嬉しいような・・・。

 2年の時は学校に行かずフテクされていたが、3年になり休みがちではあれど学校にいってくれ、学園祭の頃には「いいかんじ」になり、センター前には「この学校でよかった」と言い、卒業時には「最高」になっていた。私から見ても良い友、良い師に巡り会っていたと心から思う。 自分の卒業した学校が好きでいられるのは幸せだ。いろんな思いを経験したからこそ「この学校に入れて、母校になってよかった」と思えるのだろう。

 今日の夕食で赤飯の出る家もあれば、やけ酒の用意をする家もあるだろう。受験生もお疲れ様でした。で、親御さん方、お疲れさんでした。特に、お母さん達、ものすご〜くお疲れ様でした。どちらにしてもまだ、お疲れさんは続くとは思いますが、この広い空の下、皆励ましあい、いたわりあい、笑い飛ばしながら子供と向き合って行こうではありませんか。(遠い目をしつつ・・・・)
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長崎で飲んだサイダーです。日本で初めて作られた所のサイダーだとか・・・。美味しく頂きました。

 おっと、まだ後期試験があったよね。後期のチャンスをもらった人は気を引き締めて、平常心で挑んでください。遠い空からおばちゃんは応援しているよ。
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by papillon-e | 2007-03-10 16:05

はるうらら

 例年の春とは違う春の陽気に戸惑うばかりですが、薬のせいもあるのか少しずつ健康になってきているようです。ご心配かけました。
 復活とまではいかないにせよ、急がず、慌てずに、続ける事に意義を見つけてもよいかな?等と思う次第です。
 また、よろしく御願いします。

 3月1日に京都の公立高校の卒業式が無事に終わりました。卒業後の身の振り方はまだ出てないけど、とにもかくにも娘、T子は無事に高校を卒業。私はホッとした次第です。思い起こせば昨年、2年の時には学校に行かず家でフテクされ、スネてました。最近聞いた所によると「後一回遅刻したら留年決定やった」とのこと。『知らぬは仏』(この使い方であっている?)とはこの事かな?3年は前半はほどほどに楽しく、後半、学祭後にはけっこう楽しく、最後はとっても楽しく、卒業式では最高になってました。この3年間で身体で学んだ事の多さは計り知れないでしょう。心も想像力も成長した事でしょう。良い学友にも会え、人間関係を築けたことでしょう。子供の嬉しい事は私も嬉しい。

 長崎旅行の事も福岡での心温まる出会いも、いろいろかきたい事は山の様にあれど、以前から自問自答していた事を少し・・・。

 娘の高校の卒業式で「君が代」が流れた。歌う人も歌わない人も、起立する人も座っている人も様々だった。が、今回、私は声を出して歌った。気持ちよかった。
 保護者になってから、主人の影響もあったのか国歌斉唱の時に座っていた。私自身、明治生まれの祖父母に育てられた事もあり、「君が代」に対し「綺麗な曲」だと思う事こそあれ、軽んじる意識はなかった。「この歌が戦争を意識させる」とも思ってなかったし、短大を卒業するまで気にせず歌っていた。また、「蛍の光」と「君が代」はセットの様にも思っていた。
 保育園ではともかく、小学校の入学式ごろから歌わない人と起立しない人を見かけ、違和感を感じながらも歌っていた様にも思う。なぜ、途中から歌わなくなったのか?座ったままだったのか?思い出せない。
 昔は祖父母の家ではお正月には国旗を掲げていた様にも思う。まあ、国旗はともかく、今は「君が代」の話。
先日、東京での「音楽教師が君が代演奏を拒否した件」での記事とその裁判の結果が新聞に出ていた。また、ブログでもその件でさまざまな意見が出ていた。興味深く、読まして頂いた。
 今日、いつもお邪魔している一燈照隅(http://blog.goo.ne.jp/misky730)にて「なるほど〜」と思う記事が出ていた。表題は「君が代と礼儀」とかいてある。興味のある方は覗いて下さい。

 何故は私はアメリカの国歌をおおよそ覚えている。(何回も歌った事があるからかな?それとも、英語学習のためだったか)ところが、母国の国歌はうろ覚えだった。あんなに歌ったのに・・・・。自分で自分が少し恥ずかしかった。

 次は小学校の卒業式と中学の入学式。ちょつと練習しょうかしら・・・。それとも、歌えない雰囲気かもしれないな〜〜。まあ、ようはどうしたいか決めればいいのだからね。権利も義務もなく、純粋にどうしたいかを自分で問うてみようと思う。
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by papillon-e | 2007-03-03 16:58