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日々の中での出来事・思いを重ねていきたいなぁ。仕事のことも生活環境の事も友人のことも仲間のことも連ねていきたいなぁ。


by papillon-e
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友逝く。

 昨年の暮れに友人Kさんより電話があり「ぼん(呼び名)が悪いらしい。」と連絡があった。「小腸癌でもう家に帰ってこれないらしい」と言う言葉。仲良くしていたUちゃんに電話し、とりあえず3人でいつ顔を見に行くかを相談して14日に決定していた。
 日曜日の夜にKさんより電話。「あっ・・・間に合わなかった」と思いながら電話に出ると「その日の朝に亡くなった」とのこと。成人式の夜に通夜に三人で駆けつける。

 会場に入るとお兄ちゃん(故人)の昔と変わらぬ写真と出会い、いまいちピンと来ない。お互い所帯を持ってからは連絡をすることもなく、「どうしているかな?」と思い出す事はあっても「集まる」事はなく、計画をしても途中で頓挫していっていた。
「もっと早くに会っといたらよかったね」と話しながらも、こうしてお兄ちゃんの話をしながらとりあえずの3人に出会えた事にお兄ちゃんも「おう,久しぶりやな」と側にきているような気がする。

 高校2年の夏に一ヶ月間一緒にアメリカ旅行をした仲間だった。大学生だったお兄ちゃんは高校生の私の事を気使い、またお父ちゃん(Kさん)お母ちゃん(Nさん)おじちゃん(Kさん)とでコックローチファミリーなるモノを作り楽しく過ごしていた。アメリカは東にあるコルゲート大学と言う信号が一個しか無い田舎町の寮に3週間いたのだけど、青春の一番美しい思い出になっている。
 この当時も学校になじめなく、努力しているけど空回りして疎外感に打ちのめされていた私には「認めてくれる」唯一の友建だった。どんなに助かったか言葉で言い表せない。試験前は勉強を見てくれ、誘っては遊んでもらっていた。短大に入っても、友人に紹介し、私の仲良しの友建は皆、お父ちゃん、お兄ちゃんを知っていたし、相手にしてもらっていた。
 お兄ちゃんが就職で四国の出張が多くなり、顔が見えなくても電話で長話をしたり、また帰ってきたら「琵琶湖に行くし来いや」の誘いを受けてウィンドサーフィンをする姿をただ見に行っていた。結婚に至るまでのいろいろな失敗や,失恋話にも根気よく聞いてくれ、「お前は地面から5メートル上を歩いてるから、早く地面に付いて歩ける様にしいや」と気にもかけてくれていた。

 そんな簡単な人生でなかったと思う。一杯苦労したと感じている。まだ若い、かわいい奥さんとお嬢さんを残して逝くのは心残りだったろう。温かい人だったから残して逝った愛情はいっぱいあると思うが、それでも残されたものも先に逝った者も辛い事に変わりはない。

 今年、住所の解っている人にとりあえず連絡して集まってみようと計画している。お兄ちゃんが与えてくれたきっかけをしっかり生かさないと「**はほんまにあかんな〜。しっかりしいや〜」と言われてしまいそうだ。右手を少し上げて「よ〜〜」と言って柳腰のお兄ちゃんがこっちに向かってくる姿を思い出す。

 **和孝、享年50歳。早い旅立ちだった。ご冥福を祈り、また昔を懐かしむ最近です。
友逝く。_e0006429_16215527.jpg

by papillon-e | 2007-01-16 16:24