今日の言霊より
2006年 05月 15日
今日も心にズシンと響く言葉だ。
■今日の言霊:南方 熊楠
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
肩書きがなくては己れが何なのかもわからんような阿呆共の仲間に
なることはない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■考えるヒント
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇南方熊楠は、日本が誇る博物学者(民俗学者・粘菌学者・エコロジスト
等々)だ。その彼の一生は、注目に値するものだ。明治時代に大英博物館で
自然科学を独学し、英文で論文を「ネイチャー」等に発表したりしている。
◇明治時代のことだから、世界を論争の場にした、唯一の日本人だったと
思う。その彼が、また再び脚光を浴びつつあるので、ぜひ、興味のある人は、
ちょっと古いが、以下の本を読んでみてはどうだろう。
「縛られた巨人」(神坂次郎:新潮文庫)、
「南方熊楠」(鶴見和子:講談社学術文庫)
◇そんな彼の言霊が、この言霊だ。属性人格(肩書きや知名度などの人間が
一時的に背負うもの)で何事も人間を評価しないし、自分も自分の属性で、
何かを語ろうとはしないし、その仲間にもならない。
◇つまり、一人の人間として生きていけという言霊だ。自分の存在証明を
何か会社や他人から借りてするのではなくて、自分自身でしてみろという
のだ。実に潔い生き方だ。
◇私たちの現実に即して言えば、たとえば、社長や上司が、言うことだから
それをやるのではなく、自分が正しいと思うことだから、それをやるのだと
いうことだ。
◇私たちは、自分の生き様を自分の誇りとしたい。他人に評価してもらおう
と生きているわけではない。他人のために生きていくことと他人に評価され
ようと思って生きていくこととは全然違う。自分自身の誇りを確認しよう。
それが、自分自身の存在証明になるはずだ。
■今日の言霊:南方 熊楠
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
肩書きがなくては己れが何なのかもわからんような阿呆共の仲間に
なることはない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■考えるヒント
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇南方熊楠は、日本が誇る博物学者(民俗学者・粘菌学者・エコロジスト
等々)だ。その彼の一生は、注目に値するものだ。明治時代に大英博物館で
自然科学を独学し、英文で論文を「ネイチャー」等に発表したりしている。
◇明治時代のことだから、世界を論争の場にした、唯一の日本人だったと
思う。その彼が、また再び脚光を浴びつつあるので、ぜひ、興味のある人は、
ちょっと古いが、以下の本を読んでみてはどうだろう。
「縛られた巨人」(神坂次郎:新潮文庫)、
「南方熊楠」(鶴見和子:講談社学術文庫)
◇そんな彼の言霊が、この言霊だ。属性人格(肩書きや知名度などの人間が
一時的に背負うもの)で何事も人間を評価しないし、自分も自分の属性で、
何かを語ろうとはしないし、その仲間にもならない。
◇つまり、一人の人間として生きていけという言霊だ。自分の存在証明を
何か会社や他人から借りてするのではなくて、自分自身でしてみろという
のだ。実に潔い生き方だ。
◇私たちの現実に即して言えば、たとえば、社長や上司が、言うことだから
それをやるのではなく、自分が正しいと思うことだから、それをやるのだと
いうことだ。
◇私たちは、自分の生き様を自分の誇りとしたい。他人に評価してもらおう
と生きているわけではない。他人のために生きていくことと他人に評価され
ようと思って生きていくこととは全然違う。自分自身の誇りを確認しよう。
それが、自分自身の存在証明になるはずだ。
by papillon-e
| 2006-05-15 18:00